2022.04.30
表題から分かるように、今回は非難を覚悟でこのブログを書いている。
私は今までパワハラをする人を徹底的に非難してきた。
それが手のひら返しかと思うかもしれないがそうではない。
私の主張は一貫している。
その理由を炎上しないことを祈りつつ、順番に述べていきたい。
パワハラは悪
まず断っておくが、パワハラは絶対に悪である。
「なんだ、釣りタイトルか」と思った方は、どうかもう少し読みすすめてほしい。
このタイトルにした訳と理由を後に述べていくので。
私自身も昔のパワハラ全盛時代(当時はパワハラという言葉すらなかったが)にその恩恵、もとい、被害を受けた一人である。
そうであるからには、若い人には同じ目にあってほしくないし、自分自身が絶対にパワハラを絶対にしないと、常に言い聞かせている。
私がツイッターでもブログでもよくパワハラ批判していることをご存知の方も多いだろう。
困難を避ける社会風潮
しかしながら「パワハラ」という言葉を利用して困難を避けることには反対である。
仕事を振られると「パワハラ」
注意されると「パワハラ」
その結果、どうなったか。
先日「名刺の渡し方を顧客から注意された」と現場所長にクレームが入ったそうだ。
人事研修でいったい何を学んだのか。
このありさまでは仕事が成り立たない。
では仕事を振られた時、できない場合にはどうすればいいか。
それは簡単だ。
断ればいいのだ。
その断る理由として「それはパワハラだ」以外の言葉がない時「パワハラ」という言葉を利用しているのだと言いたい。
そして一番タチが悪いのが「パワハラ」とさえ相手に言えず会社を突然辞める人だ。
結局、自分が嫌だと感じる事、気に入らない事を乗り越えようと努力せず、「パワハラ」がひどいから退職するという安易な道を選ぶのだろう。
例えば、上司や先輩からの言動や行動により「心身が衰弱する」「体調不良になる」または「それらの具体的傾向がみられる」等の症状がある時、それは間違いなくパワハラである。
しかしながら、自分が嫌だと思う事は全て「パワハラ」と決めつけるのは、絶対に良くない。
良くないというのは「パワハラ」と感じる自分自身にとってだ。
会社にとってはさほど、ダメージはない。
「ああ、そういうヤツだったか。」
で終わるだろう。
困難こそが一流の人材を生む
更に個人のみならず、社会全体が過剰に「パワハラ」という言葉に敏感すぎる事にも警鐘を鳴らしたい。
それは「パワハラ」と「困難」を混同しているように思えるからだ。
その二者は決して同一ではない。
「パワハラ」は人をおとしめる。
「困難」は人を成長させる。
身近にいる尊敬する上司や先輩を思い浮かべてほしい。
その人は必ず数々の修羅場を経験し、乗り越えてきているだろう。
話を聞けば必ず「あの時の大変さを経験しているから、どんな困難も乗り越える自信がある」という体験を持っているはずだ。
歴史を見ても、数多くの英雄が誕生するのは乱世である。
困難を避けて生まれる一流などいない。
困難を乗り越えてこそ一流の人となるのである。
自分は「パワハラ」と称して「困難」を人のせいにし、逃げていないだろうかを問いかけてほし。
社会全体が困難から逃げる事を許容している風潮が恐ろしい。
将来、人材が育たない社会となってしまわないだろうか。
「パワハラは悪、だが困難には立ち向かえ!」
この考え方を広めたい。
この記事はこの人が書いています。
施工管理技士アルノ
1級建築施工管理技士
1級電気工事施工管理技士
1級管工事施工管理技士
1級電気通信工事施工管理技士の資格を取得。
現場監督としての体験、施工管理技士試験の勉強法、
2度の転職経験から得た建設業における転職ノウハウを紹介しています。
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