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  • 執筆者の写真アルノ

戦後のトンネル工事現場での信じられない本当の話

更新日:2021年11月14日

2020.03.14

引退したあるゼネコンの土木の現場所長に聞いたこんな怖い話がある。


ああ、そういう事ねという「オチ」があるのでぜひ、最後までお楽しみください。



映画のような本当の話

その現場所長が新入社員の時、というから40年くらい前の話だろうか、自分の給料が少ない事に嘆いてた。


下請けの親方の給料をこっそり聞いてみると「いやぁ今月は少ないよ」との事。


その当時、給料は封筒に入れて現金払いだそうで、少ないと言っている親方の封筒は立てれば立ちそうなほど厚かったそうだ。


「封筒が立つくらいもらっているのに少ないのですか?


親方は一番もらった時でどのくらいもらったのですか?」


そこから親方の昔話がはじまった。



トンネル難工事を経験した親方の体験

今から60年ほど前の1950年代、時代は高度成長期、貧乏学生だった親方はお金がなくて困っていた。


すると、友人から金が稼げるアルバイトがあるので一緒に行かないかとの誘い。


その友人と行ったアルバイトはトンネル掘削の日雇いバイト。


しかし、その現場には一つのうわさがあった。


それはある日突然、人がいなくなる事があるといい、しかもそれが一度や二度ではないとの事。


彼は、それを聞きそんな恐ろしいところなのかと恐怖した。



掘削は発破工法

当時のトンネル工事はダイナマイトによる発破。土や岩盤を爆発させ、ガレキを搬出することにより進んでいくというもの。


当然の様に危険な作業も多かった。


3か月がたったある日、発破によるガレキの破片が自分の顔に向かって飛んできた。


とっさによけたが、すぐ後ろにいた作業員に当たり、その人は倒れてしまった。



事故があっても安全は自己責任

当時、安全は自己責任という時代。


倒れた作業員は横にどかされ、そしてみな通常作業に戻っていった。


彼は、その様子を見て怖しくなり、もうこのアルバイトはやめようと決め、元請の現場事務所に行き、事務員にその旨を伝えた。


元請事務員は、急に言われても困ると言い、続けて、明日リュックサックを持ってもう一度来るようにと彼に伝えた。


怖い話の真相

次の日、言われた通り、リュックを持って現場事務所に行くと、事務員はなんと札束をリュックがいっぱいになるほど詰込みおもむろにこう言った。


昼間は大勢いるから危険だ、夕方作業が終わった頃を見計らって静かに下山するようにと。


彼はハッとなり、その時ようやく人が突然いなくなるとのうわさの真相を知った。


そして言われた通り、夕方になるのを待って山を下り、そのまま実家に帰った。



当時の土木建築工事の給料

札束をいっぱい持って実家に帰ると父親に「どこの郵便局を襲ってきたんだ」と言われた。


当時、強盗といえば銀行でなく郵便局であったらしい。


両親に事情を説明し納得してもらった上で、そのお金を渡し、そして古くなった家を新しく建て替えたそうだ。


封筒が立つどころか、リュックがいっぱいになったその時が、一番給料がよかったとの親方の話。



魅力ある建設業界に

現在の価値に換算してみると、家の値段を仮に3000万円とすると、3か月でそのくらい稼いだ事になる。


つまり、1ヶ月1000万円。


高度成長期の建設業はそれほど、稼げた業界だったようだ。


人手不足といわれる昨今、当然、そこまでの待遇の改善は望めないにしても、金銭面だけでなく、あらゆる面で魅力ある建設業界にしていかなければ、この業界に明るい未来はないであろう。







 

この記事はこの人が書いています。


施工管理技士アルノ

1級建築施工管理技士

1級電気工事施工管理技士

1級管工事施工管理技士

1級電気通信工事施工管理技士の資格を取得。

現場監督としての体験、施工監視技士試験の勉強法、

2度の転職経験から得た建設業における転職ノウハウを紹介しています。



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