アルノ

2021年6月5日5 分

四半世紀前の建設業界のブラックっぷり(私の体験)

2021.06.05

昔に比べて最近の建設業界はだいぶ良くなった、という話をよく聞く人も多いだろう。

それは私も実感する。

では昔はどのくらいブラックだったのだろうか。

人によって経験する内容はさまざまだろうが私のゼネコンでの経験を羅列してみる。

おもしろおかしく読んでほしい。

日曜日強制出社事件

新入社員で配属になった現場は、大現場で超突貫現場だった。

日曜日は最初の内は休みだったが、竣工が近づくに休みはなくなっていった。

ある時、どうしても日曜日に用事があった私は、先輩に次の日曜日に休みたい旨を伝えた。

すると先輩は「あれお前、先月、日曜日1回休まなかったっけ?」との無慈悲な言葉。

私は「日曜日は毎週休むものだろ!」と心の中でツッコんだ。

当時の勤務時間はというと会社(現場)の定時は今と変わらず土日祝日休みで勤務時間は8時~17時だが、実際は朝、7時半出勤で平均退社時間は21時~22時だった。土日祝は18時頃には帰っていた気がする。

以上を踏まえて一番いそがしい竣工間際の残業時間を計算するとおおよそ150時間~160時間はあっただろうか。

ただ、ご飯は3食共、所長が現場の予算で賄ってくれていた。

足蹴にする先輩

同じく新入社員で配属になった現場で、よく私のヘルメット越しに頭を叩く先輩がいた。

本人は全く悪気がないのだが、まぁ新入社員で仕事ができないからという事だったのだろう。

ある時、私がしゃがんで何かをしていた時(墨ツボに墨汁を補充していた気がする)に理由は忘れたが、ヘルメット越しに足蹴にされた。

さすがに怒った私はその先輩に文句を言った。

先日、ひょんな事から四半世紀ぶりにその先輩に会う機会が会った。

大現場の副所長になっていたその先輩にあいさつにいった私が冗談で「あいさつしないと叩かれると思ってきました」と言うとつい、叩くそぶりをみせ、あわてて手を引っ込め「それを若い衆の前でいうなよ」と困った顔をしていた。

どうやら、昔の顔を今の部下たちには隠しているらしい。

高熱強制出社事件

入社2年目の時、現場の定例会議の日に高熱を出して寝込んでしまった。

朝、現場に休む旨の電話をし、寝ていると昼過ぎに主任から電話がかかってきてすぐ来て定例会議に参加しろとの事。

仕方なく準備をし、フラフラで現場に着くと設計事務所の担当者に「大丈夫?」と聞かれ私は「だ、大丈夫です」と答えた。

続けて設計事務所の担当者が「大丈夫じゃなさそうだな」と笑うと、その後は何事も無かったように会議は始まった。

当時は、熱があると周りにうつすかもしれないとか、長引くと大変だから休むとかいう概念はなく、熱がでたら気合で治せという時代だった。

今ではとても考えられない。

あまり早く帰るなよ発言

新入社員の時、家の近くのラーメン屋さんの店員と仲良くなった。

田舎のラーメン屋だったので、21時頃に店が閉まってしまうので週1くらい19時頃に仕事を切り上げてそのラーメン屋に食べに行っていた時期があった。

それをみて直属の上司が、「みんな遅くまで仕事がんばっているから、あまり早く帰るなよ」と忠告された。

それからそのラーメン屋に行く機会がなくなった。

それが原因ではないと思うが、それから数カ月してそのラーメン屋はつぶれてしまった。

現場事務所で野球のチケットを買わせる先輩

ゼネコン3年目の時、阪神タイガース好きの先輩が、「明日、10時から阪神巨人戦のチケット販売やから事務所に戻って来いよ」と言われてびっくりした。

本当の話かどうか疑っていたが次の日、10時前に現場事務所に戻ると、本当に会議室の電話で先輩と2人ひたすらリダイヤルを始めた。

無事チケットを2枚買う事ができ後日、先輩と甲子園球場にいった。

その現場の工期中に結局5回くらい先輩と一緒に甲子園に行った。

東京出身の私はそれまで「巨人阪神戦」と言っていたが、それ以来「阪神巨人戦」と言うようになった。

ちなみに、私は昼休みには昼寝をしたいのだが、その先輩の現場では昼休みは強制的にキャッチボールに付き合わされた。

会社の寮は3畳1間

配属の支店では会社の寮は部屋が広く、10畳一間を与えられていた。

その後、転勤になり転勤先の寮は、なんと3畳1間。

当然、共同トイレ、共同風呂、共同洗濯機、キッチンなし、賄い付き。

引越しの時、荷物を先に送ってその後、寮に着くと部屋に入りきらない荷物が廊下にあふれていた。

部屋の中を見るとまるで独房を思わせる狭さだ。

しかし人間とは不思議なもので、はじめは狭くて大変に感じていたが3ヶ月もすると寝たままでなんでも手が届いて便利だと思うようになった。

逆に、今の5LDKの自宅は広すぎて落ち着かなく思う時がある。

あの頃が懐かしい。

書き連ねていくと、どんどん出てきて止まらないので今回はこの辺にしよう。

ブラックな内容が多いが、一つ言えるのは、これらの出来事は、仕事に対する心構えや困難に立ち向かう心を育てるという点でとても役にたったと感じる事だ。

例えば朝、誰よりも早く出社して机の掃除をしたり仕事の準備をしたりするとか、先輩に怒られないように事前に綿密に段取りをする、上司の手を煩わせない様、書類のミスをなくすためにはどのような工夫をすればいいか考える、というような事はとても大切な事だと感じる。

いまの日本社会はブラックな事はご法度だが、恵まれすぎていて困難に対する耐性が身に付きにくい環境になっているとも感じる。

「乱世が英雄を生む」というように困難な状況が人間を錬磨するという事だろうか。

物事には必ずメリットとデメリットがある。


この記事はこの人が書いています。

施工管理技士アルノ

1級建築施工管理技士

1級電気工事施工管理技士

1級管工事施工管理技士

1級電気通信工事施工管理技士の資格を取得。

現場監督としての体験、施工監視技士試験の勉強法、

2度の転職経験から得た建設業における転職ノウハウを紹介しています。

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