別に安全第一じゃなくてもいいの?
- アルノ
- 5月17日
- 読了時間: 4分
2025.05.17
建設業界では安全第一が叫ばれている。
安全第一の次は品質第二、生産第三と続く。
つまり品質より、生産性より安全が最優先事項だということだ。
企業なら生産性を第一にしそうだが、なぜ安全が第一なのか。
その真相と、本来あるべき安全の姿について言及する。
以前は安全第三だった
安全第一というようなスローガーンはアメリカでは1900年代初頭にうまれたそうだ。
それ以前は生産第一、品質第二、安全第三。
労働者の安全は軽視されていたようだ。
日本でも戦後の建設業界は、安全は自己責任だったというので同じような状況だったのだろう。
労働者の安全がないがしろになっていることに心を痛めたアメリカの大企業USスチールのゲーリー社長が会社の方針を安全第一、品質第二、生産第三に変えたようだ。
その結果、労働災害が減り、労働者の出勤率があがり品質も生産も向上したとのことだ。
世界的企業であったUSスチールのこの方針は世界中に広がり、日本でも安全専一として広がり、1928年からは安全第一に変化し今にいたっている。
安全を軽視する職人
しかし今や安全第一は浸透しすぎて安全に対する意識が薄くなってしまっていることがある。
現場の多く職人さんは、毎日のように安全第一を見聞きし、現場作業も慣れているので、つい安全を軽視しがちになってしまう。
それは人間の心理としてあるいは仕方ないのかもしれない。
例えば自動車の運転はどうか。
今日、事故を起こすかもしれないと毎日緊張感をもって安全運転を決意して運転する人が果たしてどれだけいるだろうか。
私は毎日そうしているという人も中にはいるかもしれないが、ほとんどの人は当てはまらない。
それと同じことだろう。
事故を起こして初めて気が付く
それと同じで現場での事故は起こしてはじめて事の重大さに気が付く。
現場でもやはり怪我をしてはじめて安全の大切さに気付く。
軽はずみで行ってしまった不安全行動で事故になることもある。
忙しくて安全に意識が向かず怪我をすることもある。
ゼネコンによる開口養生に不備があり墜落してしまうこともある。
毎日その危険と隣り合わせにいる事を自覚し安全第一の言葉の重みを実感せねばならない。
ゼネコンがうるさいから不安全行動をするのを控える、という意識ではだめだということだ。
事故を起こすとどうなるか
実際に事故を起こしてしまうとどうなるのだろうか。
本人が不幸であることはもとより、家族にも大きな影響を与えてしまう。
家族の悲しみはいかばかりであろうか。
また一家の大黒柱を失い、経済的負担も家族に大きくのしかかる。
現場で働く我々は、常にそれらのことを考えながら日々働き、行動しなくてはならない。
ゼネコンの意識
またゼネコンの安全意識も麻痺あるいはズレている場合がある。
たとえば死亡事故を起こすと営業停止になるから安全第一でなくてはならない、というような意識だ。
ゼネコンがこのような不純な意識では、本来の安全第一が守られるわけがない。
職人さん一人一人が幸せに暮らすため、職人さんの家族を守るための安全である。
この意識がなくてはならない。
建設業界における安全は職人さんとその家族を事故から守るためにある。
近年は安全第一をうたいながら死亡災害、休業災害が下げ止まっている状態である。
安全への意識改革がなされなければ今後の建設業界の安全の進展は見込めないだろう。
この記事はこの人が書いています。
施工管理技士アルノ
1級建築施工管理技士
1級電気工事施工管理技士
1級管工事施工管理技士
1級電気通信工事施工管理技士の資格を取得。
現場監督としての体験、施工監視技士試験の勉強法、
2度の転職経験から得た建設業における転職ノウハウを紹介しています。
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