悪口を言うとドーパミンがでるらしい
- アルノ
- 2月8日
- 読了時間: 4分
2025.02.08
人は誰かの悪口をいうと言うときドーパミンが分泌されるという。
どおりで悪口が言いたくなるわけだ。
更にドーパミンは依存性が高く、より大きな刺激を求めるために、悪口もエスカレートしていくという。
おそろしい限りだ。
しかし、それには当然弊害もある。
X炎上でみられる批判
私はX上で不用意な発言によりプチ炎上をたびたび起こすのだが、ハインリヒの法則を考えるとそのうち、大炎上を起こしそうなので、最近では誰かを傷つけていないか確認してからポストするようにしている。
それはともかく、プチ炎上した時には、今まで絡んだことのない大勢の人からリプライされたり、リポスストしていたりする。
そしてその内容の多くが、炎上元となっている私のポストの内容をよく読まず、他のリポストに影響されて、思い込みや偏見による的外れな批判となっている。
その一つ一つを反論したり、説明したりすることはできるのだが、それが100、200になるとさすがにそれをする気にはならない。
ではなぜ、そのような的外れな批判が起こるのだろうか。
悪口をいうことの快感
冒頭で述べたように悪口をいうとドーパミンが分泌される。
それもエスカレートしていくので、陰口から本人への悪口となる。
それも自分への直接の反撃の可能性が少ないネットの世界ならなお更歯止めが聞きにくいだろう。
さらに、大勢の人がリポストしているから自分も大丈夫だろうという心理も働くだろう。
まぁ言ってしまえば、自分の快楽を得るための誘惑にあがなえず、後先考えずリポストしている人が多いということだ。
はっきりいって、これらの理性より欲望を優先させる幼稚な輩たちを私はいつも軽蔑している。
Xだけの話ではない
残念ながらそのような言動はXに限ったことではない。
働き方改革やワクチン接種、格差問題、物価上昇などの社会的課題における文句や恨み節が多々見られる。
それらもほとんどが、前述の的外れな悪口の域をでないものばかりいだ。
良く認識もせず批判する人は、その言動を恥じたほうがいい。
認識せずに批判する資格はない。
それらの人たちはただの快楽主義者である。
上司の悪口は特に注意
さらに身近な、例えば会社の上司の悪口などは特に注意が必要だ。
最初は飲み会の席での陰口が、それが常態化してドーパミンがでて陰口で我慢できず、いつのまにか本人に言ってしまったら大変だ。
それこそ身を亡ぼす原因となってしまう。
認識なくして批判なし、代案なくして批判なし
それでは批判が一切できなくなってしまうのではないかといえば、決してそうではない。
批判するにはしっかり認識した上でするべきだ、また更にいう意ならば代案を提示するべきだということだ。
それを行うには徹底した調査、勉強と思索を必要とする。
調査、勉強と思索はドーパミンがでるどころか、脳にストレスすら感じるに違いない。
決して快楽の為の批判でなく、問題解決のための本来のあるべき批判精神がはたいているに違いない。
少なくともその問題解決のための方途として「こうした方が上手くいく」や「こうすると良くなる」等くらいは提示するべきであろう。
それでこそ、はじめて建設的な意見交換となり問題解決に向かっていくであろう。
具体的代案がなければ、ワイドショーの無責任な批評家と何ら変わりがない。
Xにおける私のプチ炎上を例に挙げたが、的外れな批判には腹を立てる一方、少ないとはいえ的を射ている批判もあり、そのようなリプライを見ると、不用意にポストしたことに対し反省させられる。
同じ批判とは言えその両者には雲泥の差がある。
災いは口より出でて身を破る、幸いは心より出でて我を飾るという。
人の悪口をいうより、建設的な意見をいうことにより、自分の心を美しく持つ努力をしたいものだ。
この記事はこの人が書いています。
施工管理技士アルノ
1級建築施工管理技士
1級電気工事施工管理技士
1級管工事施工管理技士
1級電気通信工事施工管理技士の資格を取得。
現場監督としての体験、施工監視技士試験の勉強法、
2度の転職経験から得た建設業における転職ノウハウを紹介しています。
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